抹茶の起源
抹茶の起源は、はるか古代の中国に遡ります。 唐代に編まれた中国随一の茶書、『茶経』をひもとくと、お茶を飲む習慣は紀元前3400年頃、「神農」という伝説上の神によって始められたとあります。 神農は人間のために薬となる野草や木の実を求め歩き、毒にあたったとき茶葉で解毒したとされ、 一説によると「茶」という言葉は同じ読みを持つ「査」からきているのだそうです。
3世紀半ばに書かれた「広雅」という文献にも、当時は嗜好品ではなく、はれものや発熱などの諸症状に効き、心身を元気づける医薬品として使われていたと書かれています。
このように漢方薬の一種として飲み始められたお茶が、日常的な飲料として一般社会に広がるのは はるか後の唐の時代のこと。遣唐使や留学僧 が茶の実を持ち帰り、寺院の境内やその近くで茶の栽培が始まりました。 しかし当時、日本でもお茶は医薬品として珍重され、たしなむことができたのは貴族や有力僧に限られていたといいます。
日本と抹茶
抹茶がたしなまれるようになったのは、 唐代から宋代にかけてのことだといわれています。 茶葉を「碾」という木製の薬研(茶うす)で粉にし、沸騰した湯の中に入れて飲む抹茶法が、 その始まりだといわれています。
その抹茶法を日本に伝えたのは、臨済宗の開祖である鎌倉時代の高僧、栄西禅師でした。 鎌倉時代になり、僧栄西が1191年、宋から帰国した時に茶の 種を持ち帰るとともに、茶の粉末を湯の中に入れてかきまぜる抹茶法を輸入しました。時の将軍、源実朝に一杯のお茶と茶の効用を述べた「喫茶養生記」を献上するなどして、お茶を武家社会にまで広めました。
「喫茶養生記」の中で栄西は、抹茶の製法を「朝摘み取った新芽を蒸し、いったん冷ます。 次に炭火の上の棚に敷いた紙の上に拡げ、乾燥させる。 紙が焦げないように、終夜眠らずに火を調節する」と記し、それは「懈倦怠慢=怠け者にはできないこと」と述べています。