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【名古屋情報⑤】パチンコ

2010年10月12日

今回は、弊社の所在地、名古屋についてご紹介していきたいと思います。 第5弾は「パチンコ」です。今まで食べ物についての記事が多かったので、今回は文化について触れてみようと思います。

皆さん、近代パチンコ発祥の地が名古屋ということはご存知でしょうか。実は、現在のパチンコ台のもととなった規格が生まれたのが名古屋なのです。パチンコに似たものは大正時代にイギリスから日本に入ってきましたが、当初は子どものおもちゃでしかありませんでした。それを初めて商売にしたのが、名古屋市西区浄心で遊技場を経営していた正村竹一さんです。

正村さんは1936(昭和11)年にパチンコ店を開業、戦争で閉店を余儀なくされるものの、終戦の翌年1946(昭和21)年には営業を再開し、物資の乏しい戦後の貧しい時代の唯一の娯楽となりました。当時のパチンコは小銭をそのまま弾くもので、景品が貰えるという楽しみはあったものの、パチンコ自体にはそれほど面白味が無かったそうです。

1949(S24)年、正村さんは「正村ゲージ」という今のパチンコの元祖ともいえるものを開発しました。お金を粗末に扱ってはいけないとお金を直接弾くスタイルをやめ、お金で玉を貸しその玉を弾くゲームにしました。当時名古屋には軍需工場跡が多くあり、ベニヤ板や釘、ガラスを調達することができました。そのベニヤ板で作った箱に、釘で玉が通る道筋をつけガラスの板で覆い、釘にうまく玉を当てることで入賞口に玉を入れるという現代のパチンコもその基本は変わらないこの「正村ゲージ」は、それまでただコインが上から下に落ちるだけだったパチンコを、あちこちに玉が飛び、玉を打つ技術や釘の配列による運を試すというゲーム性が高いものに変え、たちまちに人気になったのです。

正村さんのもとには全国から正村ゲージの注文が殺到し、生産が間に合わないほどになります。正村ゲージの全国への広がりはおそるべきスピードでした。しかしそれには大きな理由があります。なぜなら正村さんは特許をとらず、誰でも自由にこの正村ゲージを真似することができたのです。もし正村さんが特許をとっていたならば、莫大な利益を得ていたことでしょう。真似されてもいい、常にそれを上回るいいものを作り続けたい、物作り職人としての正村さんの心意気。それがパチンコ普及の鍵だったのです。

このような歴史があり、名古屋はパチンコ発祥の地と呼ばれるようになりました。現在でも名古屋がパチンコの本場といわれているのは、このようにパチンコ台の基礎を作った人が名古屋に存在し、多くのパチンコ関連メーカーが名古屋周辺に本社を構えたことがあります。また、もう一つの理由としては、名古屋周辺(愛知県)は自動車はじめ各種大規模工場が多いため、昼間から夜勤の工員がパチンコをするためだといわれています。

ちなみにパチンコの語源は、「パチン」という擬音に接尾語の「コ」が付いたものだといわれています。

ところで、パチンコには特殊景品というものがあります。建前上パチンコの玉を現金と交換することはできませんが、パチンコ店で玉を特殊景品と引き換えると、その特殊景品は店外の景品交換所で現金に変えられるというものです。全国的に特殊景品は金地金のことが多く、1000円単位です。なので1000円以下はチョコレートやタバコといった景品に交換するのが一般的です。しかし名古屋では、特殊景品は200円単位のボールペンというところがほとんどで、細かく200円単位まで現金にしたいという倹約家“名古屋っ子”の金銭感覚が垣間見えます。(200円以下はチョコレート、飴などになります。)




名古屋のパチンコ屋さんでも景品として大人気!キンセンのミックスキャンディ
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